
昭和時代を振り返る、懐かしむ !
そんな時ネットでググるだけで、こんな(;´Д`)スバラスィ〜映像見つける。
「ありがとうございます」と一礼してしまう。m(_ _)m
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1988年(昭和63年)初頭はハワイで静養、2月下旬に帰国。
同年4月に開催予定の東京ドーム公演に向けて下見や衣装、
また当日の演出など準備段階は止められない処まで来ていたが、
足腰の痛みは殆ど回復する事はなく、体調が思わしくないまま公演本番の日を迎える。
1988年4月11日、東京ドームのこけら落しとなる「不死鳥コンサート」を実施。
ひばり自身フィナーレの「人生一路」を歌い終えた際、
思い通りに歌えなかったのか首を傾げたという。
この頃のひばりは既に体重が明らかに減り、痩せ始めていた。
前年の退院会見の頃と比べると一目瞭然であったが、
脚の激痛に耐えながら合計39曲を熱唱した。
その東京ドーム公演当日は会場に一番近い部屋を楽屋とし、
簡易ベッドと共に医師も控えていた。また、万一の事態に備えて裏手に救急車も控えていた。
公演の際に楽屋を訪れた親友の浅丘ルリ子は、まるで病室のような楽屋とひばりの様子に
衝撃を受けたと語る。楽屋でひばりはベッドに横たわっており、
浅丘が「大丈夫?」と問いかけると、ひばりは「大丈夫じゃないけど頑張るわ」と答えたという。
ドーム公演のエンディングで、約100mもの花道をゆっくりと歩いたひばりの顔は、
まるで苦痛で歪んでいるかのようであった。とても歩ける状態では無いにも拘らず、
沢山のひばりファンに手を振り続けながら全快をアピール。
そのゴール地点には息子・和也が控え、ひばりは倒れこむように和也の元へ辿り着き、
そのまま救急車に乗せられて東京ドームを後にしたという。
当時マスコミ各社はひばりの「完全復活」を報道したが、
ひばり自身にとっては命を削って臨んだ、伝説のステージとなった。
日本を代表する伝説的ボーカリストとして、多くのアーティストやタレントに影響を及ぼし、
企画盤や未発表曲が定期的に発表、ビデオ上映コンサートも開催されるなど、
永遠の歌姫として根強い人気を獲得している。
レコードの累計売上は8000万枚に達する。
Wikipediaより
美空ひばり 川の流れのように - 不滅の歌姫
愛燦燦
昭和ノスタルジー
その生命を燃や尽くさんと、病に侵された身体をものともせずに歌いきった、
1988年のあの伝説のステージ「不死鳥コンサート」
美空ひばり《不死鸟》演唱会 A
「もう一度、ファンの前で歌いたい。美空ひばりは死なない──」。
この時49歳。
美空ひばり《不死鸟》演唱会 B
団塊世代の青春再び!!まったりする 50〜60年代のsongが復活の兆し?




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